オリエンタル原宿について

前ページ TOPページ 次ページ

↓ 4/17

建築物で世界第二番目に大きいと言われる国会宮殿の巨大さに半ば呆れながらホテルに着く。
部屋数はなんと1100!!


2009/04/10

↓ 5/17

フロントデスクを挟み両側に、どこかの宮殿で見たような階段が、正に扇のように広がっている。
赤のサテンのロングドレスかなんかを着て、この階段を降りてみたいものだ。
勿論黒のタキシードを着た(着ているだけではなく、それが似合う)エスコート付きで。
部屋は、ホテルのランクを表す星の数だけ満足出来た。
しかし滞在中ホテルでも、市街でも、やはり元社会主義国家であった名残をしばしば見たり感じたりした。
それがどういうものかは、この短いブログでは語り尽くせない。
建物や人々の表情、生活の中のシステム…私はホテルのコーヒーを一口飲んで、ベルリンの壁崩壊前の東ドイツで飲んだコーヒーの味が舌に蘇った。同じ味だった。
コーヒー好きな私はいつもブラックで飲むが、このコーヒーはミルクもお砂糖もたっぷり加えて飲める状態になる。
私の社会主義国家での経験の多くは、何度もの旧東ドイツ滞在で得た。またソ連崩壊前のモスクワで、到着後、同行?したはずのスーツケースが行方不明となり、極寒の中、着のみ着のままで、長い列に並び、蝋人形のように表情のない兵隊に人数を制限されつつ買うことを許された、素材は悪いが高額な靴下の事は今も忘れられない。こうした社会主義国家での経験と社会主義時代のルーマニアのドキュメンテーション…特に1989年12月独裁者チャウシェスク大統領夫妻の処刑シーンを何度も海外のテレビで見ている私は、自由な国になったと言っても、特別な緊張感があった。
しかしその緊張感も見事に美しい満開の桜に癒さた。


2009/04/10

↓ 6/17

ホテルからタクシーで、パリの凱旋門に似ているが、パリのそれより小振りの凱旋門を見ながら農村博物館へ。
1994年にヨーロッパの最高の博物館として表彰されたとのこと。
ルーマニア各地方から農家や教会を持って来て再建造された屋外博物館である。建物も興味があるが、何しろ桜とその建物がマッチしていて、時には日本の農村の春を見ているようだった。


2009/04/10

↓ 7/17

この農村博物館の裏のヘラストラウ公園も、人出は多いが酔っ払いがいず、ゴミの山を見ることのない、ワンランク上の大人しめな上野公園と不忍池という印象だった。
桜の木の下でお酒を飲んだり騒いだりする文化のある国は、日本以外に今思い出せない。
お花見の季節にこんな暑さを経験したのも珍しく、早速野外レストランでビールを頼む。
輸入されたデンマークのカールスバークのハーフリットルが日本円で160円位だった。これは嬉しい!
ローカルビールはこれより更に安い。


2009/04/10


前ページ TOPページ 次ページ