

オリエンタル原宿現オーナーの長い海外生活及び旅行体験の中で、一番心を惹かれたのは、野生動物豊富なアフリカの国々でした。
ツアーに参加するわけでもなく、個人で度重なりサバンナを四駆で走り、アフリカの自然の美しさに出会いました。
そしてその反面自然の中で生きる厳しさに直面した体験から、先代の死をきっかけに、アフリカに先代の名の小学校を建てることを決断しました。
しかしそう決めたところ一個人の支援活動…… 結局は多くの方々のお力添えで、決意から4年半の時を経て、2006年8月に先代の名の小学校をタンザニアに開校し、生徒220人と村人2000人とオープニングセレモニーを一緒に祝いました。
それから更に、2年の時を経て、2008年7月に学校近くについに水源を見つけ、今では子供たちと村人の皆さんに清潔で安全な水を供給できるようになりました。
オリエンタル原宿では、テナントの皆さんからのお家賃の一部を、このプロジェクトに使わせていただいています。テナントの皆さん一人一人がオリエンタル原宿と契約なさったその時から、間接的にではありますが、支援活動の協力者です。
オリエンタル原宿では、賃貸業を営みながら、遠く海を越えたアフリカ、タンザニアの220人の子供と2000人の村人を明るい未来に繋げる支援活動を一歩一歩地道に行っています。
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タンザニアの学校建設より前から、この平和村への訪問を行っている。 何回かは、ミラノから約1200キロの距離をアルプス山脈を越えて、レンタルしたバンでおもちゃや服を届けたが、勿論費用は全て自分持ちのボランティアである。
本来ならもっと頻繁に訪れたいが、タンザニアのプロジェクトにしても、一個人の資金で行っているために思うようには行かない。 しかしここで声を大にして言いたい!私の場合はお金が有り余って、こうした活動をしているのではない! じゃあ何故他人のために?という質問は今までに数えられないほど受けた。 しかしその答は一言では語り尽くせない。 敢えて一言だけ語るとしたら……人の人生には残念ながら「地獄」と思えるような とてもとても苦しい辛い事が何度かある。 そんな時に、私は幸運にも多くの方々に助けて頂き今日の私がいる。 こんな私の活動でも人々の笑顔に繋がるのなら出来る事は全てやりたい…そんな思いがボランティアに繋がった。
今回は他の仕事で東京から呼び寄せたスタッフにも、このボランティアに参加させた。 (スタッフのその時の感想は、ブログNO.11. 4/20を参照.して下さい) 訪問時の寄付として、私はミラノから子供達の服。スタッフはスーツケースの半分を埋めるぬいぐるみを東京から持って来た。
私は毎回ここを訪れる時とても緊張する。
矢張り私がいつも見ている子供達とは違い、私自身が経験したこともない、 また想像することも出来ない苦しみや悲しみを体験している重傷や重病の子供達である。
私のタンザニアの学校の子供達にさえ見られない暗い瞳をしている。 この平和村で治療を受けている約200人ほとんどが、アフガニスタンやアンゴラの 地雷の犠牲者である。
更に約100人は多くの無償で治療をしてくれる協力病院に入院している。
今まで自分の人生で見たことのないような、顔が焼き爛れている少年少女、顔が腫瘍だらけで、目も鼻もどこにあるか分からない少年…そんな症状の子供達にも出会って来たので、今回はどんな症状の子供達に出会い、私は動揺せずその現実をしっかり直視出来るだろうか?という不安に駆られ緊張する。またこの私を受け入れてくれるだろうか…という不安も過る。
子供達はいつものように、私を暗い瞳で見る。何処に行っても、どんなに貧しくても子供達だけは元気で明るい。いやそれが子供らしさであると思うが、ここでの子供達は違う。
心の奥深くにある苦しみ、悲しみを瞳が語っているようだ。
こんな瞳で見られると、こちらまで辛く心がはち切れそうになる。
今回は、遠めから冷えた表情に暗い瞳を浮かべてこちらを見ている義足の黒人の男の子に近づいて行った。
「ドイツ語解る?」ゆっくりとドイツ語で聞いた。
彼は表情一つ変えずに頷いた。
それから彼がアンゴラから来て9歳である事を知った。
彼の目線まで顔を下げ、笑顔で彼の顔を覗き込みながら話し掛けても、固い表情は 変わらない。
健康な心身の子供とて、初めて会った人間にそう簡単に心は開かないので、彼らのように心身に深い傷を負っていたら尚更頑なであるのは当然だ。
固い冷え切った表情ではあるが、整った顔立ちが目の前にある。
私は「君はハンサムね!ガールフレンドになりたいな」と彼に言ったその時だった。
黒い顔に真っ白な歯が光った。
さっきまでの固く冷えた表情がうそのような飛び切りの笑顔を見せてくれた。
「ミスターハンサム、素敵なスマイルよ」と私は言った。
それから彼は、私が視線を送ると必ず笑顔を見せてくれた。
こんな笑顔に会いたくて私はここを訪れているのかもしれない。
女の子のグループにも近寄って行った。
表情は皆同じ。先程のアンゴラの男の子と同じように、私は慌てずゆっくりなドイツ語で話し掛けた。
小さい子から身長160センチの私よりずっと縦も横も大きい子も何人かいる。
もう数か月も滞在している子、この平和村滞在がもう何回目かの子もいた。
「あらまだ12歳なの?でもあなた達もうすっかり素敵なレディーじゃないの」と言うと、はにかみながらニコニコして私を見てる。
お世辞を振りまくのではなく、それぞれの子の良い所を率直に誉めた。
「あらあなた、お肌スベスベでいいわね。私のお肌…あなたに負けるわ」スベスベ肌の10歳の子が、手を口に当てて笑っている。
「あらあなた、歯がキレイね。それ本物の歯?」歯並び抜群な子はゲラゲラ笑う。

いつの間にか沢山の女の子達に囲まれ、写真撮影会になる。
この頃には「撮って撮って!」とポーズを決めて、モデル気取りで写真撮影を催促する子供達もいる。
子供達がカメラに向けるピース…彼らの年と彼らの国の歴史を考えると、平和を知らない彼らのピース。
戦後生まれであり、国が平和であることが当たり前のような私達のピース。
その二つのピースがカメラに向かう。
平和な国に生まれたことの幸せを痛感し、2009年夏、選挙で賑わう日本だが、 この国がこれからも平和であること、そして目の前の子供達の心身の傷が癒えるだけではなく、彼らの国に本当の平和が来ること、世界中から戦争が無くなることを祈らずにはいられない。
この平和村を訪れる度に持つ私の不安は、毎回彼らの笑顔のバイバイに送られる頃にはすっかり消える。
今回も、「平和」と言う意味の大きさを考えながら平和村を後にした。
ここの子供達と出会って以来、ジョン・レノンの「イマジン」を耳にする度に 改めてこの曲の素晴らしさに感動し、世界が平和になって欲しいと心から思う。

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